防災徒然草

防災徒然草は、14世紀の日本の随筆家、吉田兼好が自らの体験をもとに考えたことや逸話を綴った「徒然草」を真似て、小野裕一や財団のスタッフが、日々の防災への思いを投稿するものです。

世界防災フォーラム・無私無常識で

2021年1月14日

「天災は忘れた頃にやってくる」とは関東大震災の後で寺田寅彦が残した言葉とされていますが、近年は毎年のように地震や台風などの災害が発生していて、「忘れなくてもやってくる」ようになってしまいました。とは言え、地震にも台風にも周期があり、大地震が頻発する時代や強い台風が襲来する時代はあるようで、それは歴史を紐解いてみれば明らかです。しかしながら、人為的な影響で環境を変えてしまう公害や気候変動・温暖化は人類にとって新たな脅威となっています。エネルギー源の脱炭素化の動きは必須となってきており歓迎すべきですが、ここまでの道のりも決して平坦なものではありませんでした。資本主義経済化では長らく右肩上がりの成長が善とされ、効率化を図ることで最大限の利益を求めるという考え方がまかり通っていましたが、地球環境に負荷を与え続けてきたツケに漸く気がついてきたのが現代ではないでしょうか。その萌芽は1962年にレイチェル・カーソン氏が発表した「沈黙の春」や1972年にローマクラブから出版された「成長の限界」にみられますが、近年では気候変動に関して「IPCCの報告書」がバイブルとなっており、大きな影響力を持っています。これらは人類の叡智とも言えるものですが、専門的で難解なところもありますから、次代を担う子供たちのレベルでも理解できるような形に翻訳することが重要です。

一方で、現代はGAFAのような巨大なゴジラ企業が急速に情報を支配し、AIの出現によって、個人がますます無気力感に陥り矮小化され外力に太刀打ちできないような世界が築かれようとしています。産業革命によって機械化の波が社会に押し寄せてきたアメリカで1936年に「モダン・タイムス」というチャップリンの映画が公開されましたが、映画の中で、搾取されている労働者は歯車の一部に過ぎないばかりか、トイレにまでカメラが設置されていて煙草を吸ってさぼっていると監視者が叱りつけるシーンまであります。コロナ禍でリモートワークになっている職場も多いと思いますが、チャップリンの時代と現代とを比較しても本質は変わっていないように感じます。私は人間の可能性には底がないと信じる楽観論者ですが、若い人たちの間に漂う無力感(どうせどんなにあがいたって世の中変わらない)や厭世感は深刻な問題であると思います。

そんな中にあってもグレタさんやマララさんという10代の女性の存在は無気力の闇の世界に希望の灯を灯しました。一人の人間が本気になって決意し行動した時に、その熱意は広く地域や社会に伝染してやがては国際社会をも変えるような力を持つまでになるということを実証してくれました。厚い壁の前のちっぽけな自分という存在に絶望するのか、壁を必ず越えられるものとしてとらえて挑戦していくのか。このわずかな意識の差によって、人間は思いがけないような可能性の芽を育ませることができるのでしょう。「彼女達は世の中を知らないから」とか、「他の力が彼女達を利用している」等の批判はありますが、彼女達が大人でないこと、つまり、そんなことは理想論で現実的でないという常識的な思考形態を既に確立してしまった大人でないことが、新たな価値を作り出す上で必須ということではないでしょうか。少なくとも現在の気候変動・気候危機の問題を解決する上で実際に大きな影響力を与えたグレタさんや、命の危機に晒されてもなお女性の権利を啓発し続けているマララさんの存在には最大限の敬意を払いたいと思います。

このような中で、世界防災フォーラムの活動は非常識であってはいけませんが、価値を創造するためには無常識でいこうと考えています。よいアイデアというものは常識から考えると、当初はとんでもない考えである場合がほとんどですから、むしろ、とんでもない考えを大事にしていきたいと思います。そして無私で活動していこうと考えています。併せて「無私無常識」で世界の防災のために価値を創出していきたいと思いますのでご支援いただけますようよろしくお願いいたします。
 
小野 裕一