防災徒然草

防災徒然草は、14世紀の日本の随筆家、吉田兼好が自らの体験をもとに考えたことや逸話を綴った「徒然草」を真似て、小野裕一や財団のスタッフが、日々の防災への思いを投稿するものです。

World BOSAI Forumにかける想い - 代表理事 小野裕一

2022年7月19日

大切な人と二度と会えなくなってしまうことは、人生で最もつらい苦しみのひとつです。2011年3月11日の東日本大震災では、一瞬のうちに2万人近くの人が犠牲になり、その犠牲者と繋がっていた何万・何十万以上の人たちが耐えがたい別離の苦しみを味わうことになりました。

 

私が防災に携わるきっかけとなったのが、米国での学生時代に研究テーマであった「バングラデッシュの竜巻災害の軽減」がきっかけです。1996年5月13日に700名以上の犠牲者を出した竜巻が発生し、その1ヶ月後に単身調査に行きました。

 

当時は竜巻の警報システムも防災対策もゼロという状態でした。ただ、若い私に衝撃を与えたのはそれらの知識や情報ではありませんでした。被災地での経験です。高校の校庭に築かれた無数の土饅頭。出稼ぎの季節労働者の遺体は身元不明のまま埋められていました。「遺族は彼らが死んだことさえ知るすべはないでしょう」と聞かされました。こんなことは起こってはいけないと強く思いました。停電で手術もできない地方の拠点病院には、全身切り傷だらけの患者が痛みでうめきながら床にまで溢れていました。

 

数年後、途上国の防災のために国連に就職しました。防災畑の職場でジュネーブ・ボン・バンコクにおいて通算10年あまり勤務させていただきました。そこで2011年3月、バンコク勤務時にあの震災のニュースを耳にすることになりました。4ヶ月後には日本に戻り陸前高田でボランティアとしてお世話になりました。その体験から、東北の被災地で何か自分にできることはないかと強く思い、今の職場、東北大学に新設された災害科学国際研究所に2012年11月から赴任することになりました。折しも第3回国連防災世界会議を仙台で開催する話が盛り上がりをみせておりました。

 

東北大学に赴任してからすぐに、この会議の誘致活動に協力し、この会議で何を打ち出していくのかを皆さんと一緒に考えることになりました。震災からまだ2年も経ていませんでしたから、被災地では復興のまっただ中でした。ソフトやハードに加えて、心(ハート)の復興も大きな課題でした。国内外から多くの訪問者があり、その度に被災沿岸地域にお連れしました。そのような環境の中で何を被災地から発信していったらよいか。また兵庫行動枠組の後継となる新たな枠組には何を盛り込んでいったらよいのか。やるべきことは山ほどありました。

 

その中から、会議で重要な意味を持ち、会議後に仙台や東北に残る仕掛けを考える必要がありました。地元紙の河北新報が書いていたように「2万人の震災の犠牲者の墓標の上で開催される会議」ですから、絶対に成果を出さなければいけませんでした。幼子を妻や親に預け、時差も顧みず海外を飛び回って各方面との調整に明け暮れていた2014年の10月、胸に痛みを感じ、救急車で搬送される事態になってしまいました。子2人の顔が目に浮かびました。「ああ、もしかしたら、もうあの子達に会えないかもしれない」と。そう思ったときに、電撃に打たれたようなショックを受けました。「あっ、これが震災で津波に呑まれていった親が我が子を思った時の感情なんだ」と。被災した方の気持ちが観念でなく実感として自分の心に刻まれたような思いでした。

 

こうして生まれたのが市民参加型国際会議「World BOSAI Forum」開催の構想です。災害科学国際研究所の今村所長、そして東北大学の当時の里見総長に強いサポートをいただいて、2017年このアイデアを「第1回 World BOSAI Forum」として実現することができました。さらに2018年にはより活動を強化するために、事務局として「一般財団法人 世界防災フォーラム」を立ち上げました。

まだ設立まもない財団ですが、多くの人たちに支えられようやく3年が経ちました。私たちはこれからも国際会議「World BOSAI Forum」の開催を中心とし、活動の幅を広げながら、災害で苦しむ人を無くすための活動を続けて参ります。皆様の温かいご支援、ご鞭撻のほど、今後もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 
一般財団法人 世界防災フォーラム 代表理事 
東北大学災害科学国際研究所 教授 
小野裕一