2021年9月10日
東北の未来人の皆さんへ
すべては人で決まる。人を見ればすべて分かる。松下電器・パナソニックを創設した松下幸之助は、草創期に社員に何を作っているのかを聞かれた時に、「松下電器は人を作っています。あわせて電気器具も作っています。」と答えるよう従業員に教育していたという。人がいなければよい製品はできない。よい商いもできない。未来もない。至言である。社会も同じだ。
では人の何で決まるのか。心だ。アウシュビッツで最後に生死を分けたものは何であったか。それは心に希望を持てたか否かであったとの歴史の証言がある。生き残った人達は最後まで心の希望を捨てなかった。収容所では希望を無くした人から順番に亡くなっていったという。
心は不思議だ。心の不可思議さは誰も解明していない。末期癌になって助かる人は僅かであるが、その多くは強い希望を持った人だという。希望が自然治癒力を高めるという医学的な実証研究もあるそうだ。
人は心から希望を無くした瞬間に力尽き生きる力もなくすのだ。絶望と希望はたった一字の差に過ぎないけれど、その差は計り知れないくらい大きい。もうダメだと思った瞬間にすべての可能性の芽は摘まれてしまう。心に希望を持つことは自分に備わる可能性を信じることだ。可能性の花が開花するかどうかは、希望を持てるかどうかによる。
「サーカスの象」も野生の象と同じ象である。繋がれている鎖を引き抜いて逃げる能力は備わっている。でも逃げない。それは何故か。小さな時から繋がれているので、自分には引き抜くことはできないと疑わないからだ。初めから挑戦することを諦めているということは、
心の鎖に繋がれているということだ。でも人は知らぬ間に心の鎖に繋がれているのではないだろうか。「自分には無理だ。自分にそんなことはできるわけがない。」こう思う人は、サーカスの象と同じではないか。「常識」を持った大人ほどこの考えが強いと思う。自分はもう先がないから。自分は病気があるから。自分は忙しいから。自分は頭が悪いから。自分はOOOだから。大人はもっともらしい言い訳を考える天才だ。
そもそも人は自分のことを分かっているようで分かっていない。自分の心の奥深くまで覗くことはできないし、だいたい人は直接自分の顔を見ることさえできない。なのに、自分を正しく査定できるのか。自然は無限である。人は自然の一部である。故に人は無限なのだ。自然と繋がっているのだ。宇宙と繋がっているのだ。「ああ、いかに感嘆しても感嘆しきれぬものは、天上の星の輝きと、わが心の内なる道徳律」とのカントの言葉のように。
仙台にもいたことのある中国の文豪・魯迅はペンを取って鋭く啓蒙活動に戦った先駆者だ。中国の歴史を変えた。人種差別と戦って獄中闘争をして自由を勝ち取ったマンデラ。「我が辞書に不可能という文字はない」と進軍したナポレオン。圧倒的なイギリス支配の力にも怯まずに非暴力で独立を勝ち取ったガンジー。共通しているのは、八方塞がりの逆境の中でも希望を捨てずに戦ったこと。その心意気と信念の強さだ。それ故に可能性が最大限に発揮されたのではないだろうか。彼らは最初からスーパーマンだったのではない。葛藤もあったと思う。いや、むしろ葛藤の連続であったに違いない。その中を懸命にもがきながら走り抜く中で自分の可能性の扉を開けていくことができたのだ。常識の壁を破る内面の戦いに勝ったからこそ、現状を大きく変えることができたに違いない。
東北は十年前の震災で多くを失った。突然命の危機に瀕し、肉親や友人を失い、家も仕事も失い、絶望のどん底に突き落とされた。どうして私だけこんな目に遭うのか。また、どうして私だけ生き残ってしまったのかと。子供を亡くした親の気持ちを思うと今でも涙が込み上げてくる。親を亡くした子供の気持ちも。
しかし、東北の人はいつまでも悲しみに暮れているばかりでなく、本当に粘り強く復興に取り組んできた。先日も津波で娘さんを亡くされた母親に話を聞く機会があった。二時間以上、心で涙しながら。「どうしてこれまで死なずにやってこられたのか。それは娘が残した幼い孫がいたから。そして心の中の娘と毎日対話しているからです」と。壊れることのない心の宝がある人は強い。負けない。こちらが励まされた。生きる勇気をもらった。
復興といっても人に生きる希望が持てなければ絵空事だ。そしてこればかりは、行政や他人が簡単に提供することはできない。心の復興は大事と言われるが、その鍵は何か。お金やものではない。人と人との絆。心の交流。励まし合い。深く信頼できる人の存在。その次に生活や健康、そして安全安心な環境や防災が続くような気がする。
震災では二万人の人が亡くなった。これは事実であるが、「二万人もの人が亡くなってしまった」と思うか、「二万人もの人が亡くなってしまったけれども」と思うか。この僅かな心の持ちようの中に、実は未来の結果が投影されてしまうように思う。
「たしかに東北は津波や飢饉に何度も遭ってきたが、それで地域はなくなってしまっただろうか。いやむしろその逆だ。苦難を乗り越えてより発展してきたではないか。」碩学の歴史学者であり、東北大学災害科学国際研究所初代所長でもあった平川新はこう喝破した。
皆さん未来人の中には、自分は生き残ってしまったと思う人もいるかもしれない。ちっぽけな自分にいったい何ができるんだと思っている人がいるかもしれない。しかしである。若い人の可能性は、それこそ無限大・宇宙大だ。希望という絵筆をもって、人生というキャンバスに大きな絵を描いてみようではないか。苦しい思いをした人は他の人がもっていない特別な色の絵の具をもっているようなものだと思う。他の人にはまねしても描けないような素晴らしい感動的な絵を描くかどうかはあなたの心次第だ。まだ自分の可能性を信じられずにいる人にその絵を見せてあげよう。
混乱を極めるアフガニスタン、飢えに苦しむマダガスカル、冷たい軍靴が鳴り響くミャンマー、そして世界中で頻発する災害の前に右往左往する人々。風雪に長く厳しい冬を知っている東北の未来人の手には、彼らを助けることになる「目に見えないパスポート」が配られている。使うかどうかは未来人のあなた次第だ。私はあなたたち未来人が活躍するための道を少しだけ拓いておきます。少なくとも皆さんの邪魔にだけはならないように。
小野 裕一