2022年5月9日
活動しやすい爽やかな季節となりました。梅雨全線が活発になる出水期まで、災害の少ない穏やかな季節というイメージがあるかもしれません。ところが、過去の災害をひもとくと、5月にも特徴的な地震が発生していることがわかります。今回はそのひとつ、日本海中部地震をみていきましょう。
この地震は、日本海側で過去最大の津波被害をもたらしました。
日本海中部地震は、1983(昭和58年)5月26日正午ごろ東北地方の日本海側で発生した海溝型地震です。地震の規模を示すマグニチュードは7.7。震源は男鹿半島の北西部で、沿岸の近くで発生したため、地震発生からわずか7分ほどで津波の第一波が到着しました。津波は引き波で始まり、押し波の第一波襲来は12時15分。気象庁仙台管区気象台が「オオツナミ」の警報を発表したのは12時14分と遅れてしまいました。
この地震による犠牲者104名中、津波による被災は100名にのぼりました。遠足に来ていた小学生や湾岸で作業中だった工事関係者、出漁中の漁業関係者などが犠牲となりました。
避難が遅れた原因には次のようなものが考えられます。
避難が遅れた原因には次のようなものが考えられます。
・地震の大きさと津波の予想ができなかった
・避難指示が遅れた
・津波警報が聞こえなかった
・逃げる場所がなかった
特に、日本海側では津波が来ないというイメージがあり、「地震が来たら浜へ逃げろ」と伝えられていたほどだともいわれています。しかし日本列島のまわりを囲むプレートは、常に沈み込み・跳ね返りのエネルギーを溜め込んでいるのです。太平洋側にかぎらずどこでも津波が発生する可能性があることを、この日本海地震は教えてくれています。
秋田県では、日本海中部地震の発生した5月26日を「県民防災の日」と定め、県内各地で大地震や津波を想定した防災訓練を実施するなど、教訓を伝えています。
(写真出典:PhotoAC 男鹿半島)