2022年5月16日
前回の記事に引き続き、5月に起きた特徴的な地震災害をみていきましょう。今回はペルーで発生したアンカシュ地震と、九十九島出現のきっかけとなった島原大変です。
アンカシュ地震は、1970年5月31日15時23分ごろ(現地時間)に発生しました。地震の規模を示すマグニチュードは7.7。ペルー北部のアンカシュ県で発生しました。
この地震の最大の特徴は、巨大な岩屑(がんせつ)なだれの発生です。岩屑なだれの一部は尾根を乗り越え、ユンガイという街をのみこみました。死者はユンガイだけで約1.5万人にのぼったとされています。
この地震の最大の特徴は、巨大な岩屑(がんせつ)なだれの発生です。岩屑なだれの一部は尾根を乗り越え、ユンガイという街をのみこみました。死者はユンガイだけで約1.5万人にのぼったとされています。
アンカシュ地震の影響により、ペルー・アンデスにある最高峰ワスカラン山(標高6,768m)の北峰が大規模崩壊を起こしました。標高約5000メートル以上は氷雪に覆われ、氷河が流下しています。地震で北峰の山頂直下の崖が、厚いアイスキャップと共に大規模崩壊し、大量の岩塊と氷が落下する際に岩屑を巻き込み、堆積約1億立米という巨大な岩屑なだれになりました。平均時速300kmと新幹線並みの速度で山麓に突進。人口約2.5万人のユンガイに襲いかかり、5~10mの土砂で埋めてしまったのです。
山間部で大量の土砂が崩落する岩屑なだれは、豪雨時に発生する土石流と同じような性質をもつ集合的土砂流動です。ただ、降雨による斜面崩壊の土砂量は数万立米以下、地すべりで数十万立米程度が大部分なのですが、地震や火山噴火の場合、山全体が揺れて変形するため、崩壊がもっと大規模になる可能性があります。
日本における地震による岩屑なだれの例では、1984年に発生した長野県西部地震があります。地震の規模(マグニチュード)は6.8。木曽・御嶽山で巨大崩壊と岩屑なだれが発生しました。
この地震により、以前の崩落でかつてのV字谷を埋めた溶岩と火山礫が大崩壊を起こし、その中に挟まった軽石層をすべり面にして厚さ100mほどが滑落しました。崩壊土砂は3,600万立米ほどあったとされています。谷を埋め尾根を乗り越え、高速道路並みの平均時速80kmで流下しました。
この岩屑なだれによる行方不明者は15名にのぼりました。
この地震により、以前の崩落でかつてのV字谷を埋めた溶岩と火山礫が大崩壊を起こし、その中に挟まった軽石層をすべり面にして厚さ100mほどが滑落しました。崩壊土砂は3,600万立米ほどあったとされています。谷を埋め尾根を乗り越え、高速道路並みの平均時速80kmで流下しました。
この岩屑なだれによる行方不明者は15名にのぼりました。
岩屑なだれにより大津波を発生させた例もあります。1792年、雲仙岳の側火山である眉山が山体崩壊を起こした例です。1792(寛政4)年5月21日(西暦)、強い地震があった直後大崩壊が発生しました。土砂量は3億立米を超えたとされています。
島原にある眉山は有明海の海岸にほど近く、大量の土砂が海に突入して大津波を起こしました。対岸の肥後・天草(熊本)で最大23mの高さの津波になり襲いかかったのです。さらに、返し波が島原半島の沿岸に再襲来し、広域災害となりました。これが後ほど「島原大変肥後迷惑」と呼ばれるようになった天災で、島原で約1万人、肥後・天草などで約5,000人の犠牲者が出たとされています。
島原の海岸線は土砂の堆積により1km近く前進し、沖には多数の小島(現在の九十九島)が出現しました。
島原にある眉山は有明海の海岸にほど近く、大量の土砂が海に突入して大津波を起こしました。対岸の肥後・天草(熊本)で最大23mの高さの津波になり襲いかかったのです。さらに、返し波が島原半島の沿岸に再襲来し、広域災害となりました。これが後ほど「島原大変肥後迷惑」と呼ばれるようになった天災で、島原で約1万人、肥後・天草などで約5,000人の犠牲者が出たとされています。
島原の海岸線は土砂の堆積により1km近く前進し、沖には多数の小島(現在の九十九島)が出現しました。
土砂災害は降雨に伴うもの、と思いがちですが、地震による崩落も決して珍しくなく、一度発生すると巨大な規模になることは覚えておきたいところです。
自分たちの住む場所や職場、関係者がいる場所、ルートなどのリスクを検討する際には、ハザードマップの情報だけでなく過去の災害状況も調べ、大きな災害の通り道になったことがないかをよく確かめておきましょう。
(写真出典:PhotoAC 九十九島)